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ベートーベン250プロジェクトvol.1

2020.09.19(17:22) 70

「感情から読み解くベートーベン」

 

みなさん、お元気でしょうか?

最近、いろいろありまして・・・(いろいろってなんやねん笑)、ブログが滞っていました。

申し訳ありません。

ごめんなさい

 

今回は、マネジャーの私からお話しようかと思います。

よければ最後までお付き合いいただければ嬉しいです。

 

お話の前に、私事ですが現在、徳島からブログを書いています。

30代半ば目前にして、やっと免許取得に至ろうとしています。

合宿免許にきております。

みなさんは、免許はいつ頃取得しましたか?

いろいろな思い出があるかと思います。

私も四苦八苦しながら頑張っております。

その合間にブログを書こうと思いました。




昨日、NHKでらららクラシックを見ました。

バロック時代の音楽なのに、チェンバロの楽譜はiPadを使用していました。

すごいですねー。

まさに、バロック時代と令和時代のコラボです!!

楽譜

 

バロック時代の曲に癒された後に、「ベートーベン250プロジェクト」という番組があり、それも見ました。

NHKのいろんな番組でベートーベンの生誕250年を祝いながら、盛り上げていこうという感じの番組でしょうか。

舞台でも稲垣吾郎さんがベートーベンを演じることになり、アンバサダーとして昨日の番組では、作曲家・久石譲さんと対談していました。

久石譲

 

すごく興味深いお話をされていました。

 

私が印象深かったことを少しお話したいと思います。

 

ベートーベンの作品の中でも「交響曲」は有名中の有名ではないでしょうか。

全部で9曲あります。

 

その中でベートーベンは、感情に訴えかける音楽を作り上げているそうです。

四字熟語にもある「喜怒哀楽」

喜怒哀楽


それに当てはめていくと・・・

最後の第9は「歓喜の歌」と、タイトルにもあるように「喜」

第5番の「運命」は、冒頭からすごく印象が強いメロディが出てきます。

ドラえもんに出てくるのび太のままや、サザエさんに出てくる波平さんのように怒鳴りちらすような「怒」を表しています。

でも、心にズーンと響いてきて、気持ちはつらいけど、次も聴きたくなるような冒頭部分です。

 

続いて久石譲さんは、言っていました。

3番の「英雄」は、「哀」だそうです。これに関しては、2楽章のことを表しているかと思います。

聴いていて涙が出そうな感じがありますね。

 

私個人的に好きな交響曲が第6番の「田園」

これは、「楽」ですね。

森や田園風景が頭に映し出されるような、気持ちが楽になって楽しくなってきます♪

 

 

こうやって音楽を感情で表現しているベートーベンをお二人でお話されていました。

 

私は、ピアノしか演奏していないので、オーケストラで演奏して味わうことはできませんが、普段から身近に感じて音楽を聴いているので、すごく共感できています。

みなさんはいかがでしょうか?

 

私は、落ち込むときは、悲しい音楽を聴きながらとことん落ち込みたいときもあったりします。

踊りたいくらい楽しいときは、激しい音楽やポップな音楽を聴くのもいいかもしれません。

 

 

昨日、番組を見て記録として、そして、みなさんにも知ってもらいたくて今回は、こうしてご紹介しました。

今年いっぱいいろんな番組で「ベートーベン250プロジェクト」というのがあるみたいなので、また少しずつご紹介できればと思います。

 

 

次回は、20209月20日の夜9時から「人間・ベートーベン」というタイトルでEテレであるそうなので、ぜひ見てみたいと思います。

 

ベートーベンの新たな一面を知れるかもしれません。

楽しみです。

 

みなさんも、この機会に自分の感情に合うベートーベンを見つけてみてくださいね!



NHK ベートーベン250プロジェクトのページです。

↓↓

https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=24978


もし、番組を見た方がいましたらぜひ、コメントで感想お待ちしています!





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クラシックファンに知ってほしい作曲家シリーズ vol 8

2020.08.30(13:19) 69

「今すぐにでも動物園に行きたくなる曲とは・・・!?」

 

間もなく9月を迎えますが、新型ウイルスの収束はまだまだ無理のようですが、いかがお過ごしでしょうか?

音楽家たちは、コンサートも開けなくて本当につらい日々ですが、このブログを通じて聴きたくなる音楽を知ってほしいと思います。

 

今回は、フランスの作曲家についてお話します。

シャルル・カミーユ・サン=サーンスです。

サンサーンス


みなさんも名前は聞いたことある!という人もいると思います。

具体的な作品は少ないですが、いい曲もあるのでいくつかご紹介します。

●ヴァイオリンの「序奏とロンド・カプリチョーソ」

●オペラ「サムソンとデリラ」

●交響曲第3番「オルガン付き」

●ホルン独奏の易しい「ロマンス」

など意外と素敵な曲を書いている人なのです。

この機会に聞いてみてはいかがでしょう?

 

 

さて、サン=サーンスは、1835年パリに生まれます。しかし、その後すぐに内務省の官吏だったお父さんが病気で亡くなってしまいます。

そのため、お母さんが育て、2歳になってから叔母のシャルロット・マソンに、ピアノを習い始めることになりました。

ところが、音感が鋭く極めて早熟で、3歳半でなんと!ピアノ曲を作曲し、5歳でベートーヴェンのソナタを弾いたそうです。

さらに、語学も含め、オルガンや和声法・対位法なども勉強し、1848年(12歳)に、パリ音楽院のオルガン科に入学し、1851年に1等賞を取っています。

その後、各地の教会のオルガン奏者や音楽学校の教師として活躍します。

 

その後も、オペラや交響曲などの大作にも挑み、室内楽や独奏曲、協奏曲、ピアノ曲、オルガン曲、歌曲、宗教曲など幅広いジャンルの作品を遺しています。

 

その中でも、ユニークな作品を今回ご紹介したいと思いますが・・・

皆さんは、チェロのソロで演奏される「白鳥」を聴いたことがありますか?

白鳥


優雅な曲で、チェロならではの音色が魅力で、この曲を聴いてチェロに憧れた人は多いのではないでしょうか!?

この曲は、サン=サーンスが51歳の時に作曲した、組曲「動物の謝肉祭」の中の1曲です。

 

このころ彼は、当時ドイツの作曲家ワーグナー一派から反目され、サン=サーンス著の「和声と旋律」が猛攻撃され、さらにプラハやウィーン以外の他都市での演奏活動を禁じられることになりました。

そうした不幸を忘れるため、オーストリアの小都市クルディムで休暇を過ごすことになります。


そこには、友人のチェロ奏者シャルル・ルブークが主催する謝肉祭の音楽会があり、そのためにこの曲を作曲しました。

でも、この曲は非常に斬新、奇抜な構想を持った曲で、当初は2台のピアノ・チェロ・フルートなどの小編成で書かれ、非公開で演奏したそうです。

彼の死後、現在の管弦楽に編曲されて有名になり、子供たちの音楽鑑賞曲としてよく演奏されるようになりました。

 

曲は全部で14曲あります。1曲ずつ動物のタイトルがついています。

どんな動物が登場するのでしょうか?


第1曲 「序奏と獅子王の行進曲」

ピアノの力強い反復演奏に始まり、弦楽器のユニゾンで演奏される勇壮な「行進曲」へと続いていきます。


第2曲 「牝鶏と雄鶏」

ピアノと弦楽器が鶏の鳴き声を模倣しあって、とても楽しい音楽。鶏同士が話し合っているようです。

第3曲 「驢馬」

アジアノロバと言われる動物を、ピアノで速い上下の音階で表現しています。1分足らずの短い曲です。

アジアノロバ1


第4曲 「亀」

弦楽器が、オッフェンバックの「天国と地獄」の旋律を、亀が静かにのっそのっそとゆっくり歩いているように表現しています。

第5曲 「象」

コントラバスが、象がワルツを軽やかに踊っているように表現しています。


第6曲 「カンガルー」

装飾の付いた和音が上下して、飛び回るカンガルーを表現しています。軽やかで自分の周りにカンガルーが遊び回っているかのようです。

第7曲 「水族館」

グラスハーモニカの入った幻想的なメロディに、分散和音のピアノが添えられている。

グラスハーモニカ

(こちらがグラスハーモニカという楽器。指を水で濡らして、グラスに指を滑らして鳴らす楽器です。)

第8曲 「耳の長い登場人物」

第3曲目のロバとはまた違うロバが登場。のどかなロバの鳴き声をヴァイオリンが模倣する。サン=サーンスの音楽に嫌味な評価を下していた音楽評論家への皮肉と言われている。これも1分足らずの短い曲です。

第9曲 「森の奥のカッコウ」

ピアノのゆっくりしたコードの後、クラリネットがカッコウの鳴き声を表現しています。

第10曲「大きな鳥籠」

弦楽器による反復演奏の上を、フルートが軽やかに飛び回る様子を表現しています。鳥籠の中の鳥たちが今にも飛び立ちそうな音楽です。「早くここから出たいよ!」と聴こえてきそうです。

第11曲「ピアニスト」

へたくそに練習曲を演奏するピアニストを皮肉って、彼らも動物として表現されています。ハノン(練習曲)を弾いているような面白い音楽です。

第12曲「化石」

自作の「死の舞踏」の骸骨の踊りの旋律をシロフォンで演奏。ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の旋律が出てくるが、「これらは古くさい化石のような音楽だ」という洒落。途中で「きらきら星」も登場するのが笑えます。

第13曲「白鳥」

チェロで演奏される優美な旋律が、気品のある白鳥の姿をあらわし、2台のピアノの伴奏は、水面のさざ波を思わせる美しい音楽。もっとも有名な1曲ですね。ピアノとチェロで演奏されることが多いですが、ピアニストは指の間が多少開いていないと弾きにくい旋律です。

第14曲「終曲」

カーテンコール。すべての動物たちが集まったような音楽が壮大に演奏されています。

オッフェンバックの「天国と地獄」のフィナーレの旋律を、大幅に変奏されているが、オリジナルの音楽になっています。動物園に行ったはずなのにサーカスの舞台を見ていたような、最後は華々しくフィナーレを飾る。

 

以上ですが、謝肉祭はキリスト教の楽しいお祭りで、動物たちもそれを祝おうという趣向でサン=サーンスは作曲したようです。そして、フランス人らしいユーモアやウィットなどの知的な遊びを取り入れた音楽となっています。

 

これらの中で、CMやドラマの音楽、私鉄のホームでの音楽などいろんなところで耳にしているかもしれません。それだけ、ユニークな作品で楽しい音楽だということですね。

この機会に、全曲通して聴くとすごく楽しめると思います。


最後に全曲通しておもしろく演奏されてる動画をどうぞ!


 

 

いかがでしたでしょうか?

あなたはどの動物がお気に入りでしょうか?

 

これを聴いたら動物園に行きたくなるかもしれません!

 

さて、次回もお楽しみに♪


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クラシックファンに知ってほしい作曲家シリーズ vol 7

2020.08.14(09:00) 68

メンデルスゾーンってどんな人?

 

一度は聞いたことのある、ヴァイオリン協奏曲で有名なメンデルスゾーンとは、いったいどんな人なのでしょう?!


メンデルスゾーン

フェリックス・メンデルスゾーンは、1809年ドイツのハンブルクで生まれ、後世に伝えられている作曲家の中で、唯一裕福な家庭に生まれ育った人です。

お父さんのアブラハム・メンデルスゾーンは(当時の言い方で)銀行家で、お母さんのレーアも家が銀行家でした。

 

1812年、ハンブルクからベルリンに移り住み、ピアノをお母さんから習い始め、その後パリやベルリンでさまざまな先生に習うことになります。

やはり裕福な家庭だったのでこのように充実したレッスンを受けることができたのでしょう。

1818年、9歳の時に初めてピアノの公開コンサートを行い、その天才ぶりは世の注目を集めました。

 

1820年以降、多くの音楽家たちとの交流があり、作曲家としても才能を伸ばし、数々のピアノ曲、声楽曲を作りました。彼はキリスト教を信じ、宗教音楽の作品も多く、交響曲第5番は「宗教改革」という副題をつけています。

 

1826年、のちに大曲として知られる「真夏の夜の夢」というシェークスピアの戯曲に音楽を付け始めました。ただ、この時には序曲のみを作曲しており、16年後の1842年に全曲が完成しました。

真夏の夜の夢


1829年、100年の時を経て、忘れられていたバッハの「マタイ受難曲」を再演します。

このことが、バッハの作品を見直されるきっかけとなり、彼の功績は偉大であると称賛されました。

 

そして、現在ヨーロッパ屈指のオーケストラとして知られている「ライプツィヒゲヴァント管弦楽団」の指揮者に就任しますが、このオーケストラが今日までの成長を遂げたのは、メンデルスゾーンの功績が大きかったといわれています。

 

さらに、ライプツィヒに音楽院の設立を企画し、奔走してついにはザクセン王を出資者に得ることができ、1843年に開校しました。教授陣には、メンデルスゾーンやシューマンがピアノと作曲、他にはその当時著名な音楽家が連なっていました。

このように、音楽活動としての演奏会の開催・音楽教育の普及など、こんにちまで続く功績の基盤を作った偉大な人でした。

 

 

 

作曲家として彼はヨーロッパ各地へ旅行をしますが、そのたびに多くの作品が書かれています。

1829年から1832年の間にドイツ各地(オーストリア、イタリア、フランス、イギリスなど)へ5回の旅行をしています。

このように、いろんな国に行っている彼だからこそできた曲が存在します。

 

例えば、イギリスでは・・・

〇序曲「フィンガルの洞窟」(イギリスの西側のヘブリディーズ諸島にあるスタファ島)



〇交響曲第3番「スコットランド」(1842年)などです。


 

イタリアでは、その印象を・・・

〇交響曲第4番「イタリア」(1833年)で作曲しています。


 

この3曲は、よくプログラムに載ることがありますが、その国の雰囲気がとてもうまく表現してあり、イタリアなどは、底抜けに明るいイタリア人をイメージするように描かれていて、とても元気になる音楽です。

 

そして、極めつけは、多くの作曲家が書いたヴァイオリン協奏曲の中でもひときわ有名な「ホ短調op,64」です。

1844年に完成しますが、この曲は3楽章形式で書かれていて、通常、楽章間には空白がありますが、メンデルスゾーンは、続けて2楽章3楽章と続けて作曲しています。

 

余談ですが、通常のコンサートで、楽章間の空白でお客さんたちは一斉に咳をしたり、座りなおしたりしています。さらに、演奏家たちは、楽器の調整や譜めくりをするなど貴重な空白時間ともいえるのではないでしょうか?

 

さて、このヴァイオリン協奏曲ですが、冒頭からヴァイオリンのソロが入っているのがとても印象的で、私は小学校の音楽鑑賞(レコード)で聴いてからずっと記憶に残っています。

しかし、作曲した本人は体調を崩し、初演には立ち会えなかったそうです。

そしてその後、どんどん体調が悪化し、1847年スイスでの静養をしたが、114日に亡くなりました。

なんと38歳の若さでした。

 

過去にはモーツァルトも35歳で亡くなりましたが、天才は薄命ですね。

 

いかがでしたでしょうか?

メンデルスゾーンの生涯を少し覗けたのではないでしょうか?


最後にヴァイオリン協奏曲をパールマンの演奏でどうぞ!


(音楽家の中では、この曲を「メンコン」と言われています。メンコンと言えばこの曲!綿混ではありません笑) 


次回もお楽しみに!

近々、面白い企画を出そうと思っているので、乞うご期待!

 






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クラシックファンに知ってほしい作曲家シリーズ vol 6

2020.07.31(09:00) 67

「名前は聞いたことあるけど、どんな作曲家はわからない?」と言われそうな作曲家パウル・ヒンデミットについて語ります。

1895年ドイツのフランクフルト近郊の町、ハーナウで、芸術家を目指した父親のもとで生まれたドイツの作曲家です。

ドイツ 地図


父親はその望みをかなえることができませんでしたが、パウルと弟のルドルフ、妹のトーニーたちに、音楽教育を熱心に受けさせ、弦楽三重奏を組むまでに至りました。

 

1915年、パウルが20歳の時にフランクフルト歌劇場管弦楽団のコンサートマスターを務めることになりますが、それは普通では考えられない出世です。

この頃、弦楽四重奏などの室内楽でヴィオラを弾く機会が増え、第一次世界大戦後にはヴィオラ奏者としても活動を行います。

1921年第1回ドナウエッシンゲン室内音楽祭で、「弦楽四重奏曲第3番」の初演を行い、大成功をおさめます。

彼の作品は、リヒャルト・シュトラウスなどが活躍した後期ロマン派的、表現主義的な音楽の傾向から脱却し、これまでにない新しい音楽を作り上げました。

それは、これまでの古典派・ロマン派などのイメージを逸脱し、ある意味無調音楽と言われるようなメロディの進行・和声が特徴を持っています。それを「新古典派」と呼ばれました。

 

ユニークな作品としては、管楽器のソナタを多く書いていて、木管楽器のオーボエ・イングリッシュホルン・クラリネット・ファゴット、金管楽器のトランペット・ホルン・トロンボーンなど、他にもピアノのためのソナタを書いています。

それ以外では、あまり聞かれないヘッケルフォーン(オーボエのオクターブ低い音域をもつ楽器でワーグナーの提案でヘッケルという人が作った)や、アルトホルンなど、珍しい楽器のためのソナタを残しています。

ヘッケルフォーン 

 

ヒンデミットは1927年以降、国際的にも有名になり、当時作曲家として有名だったフランスのダリウス・ミヨーやロシアのストラヴィンスキーらと親交があったようです・

 

その後、ナチスドイツの時代になると、彼の評価は揺れ動き、交響曲「画家マチス」が1934年にベルリンで初演された時には、ナチスの宣伝相ゲッペルスによって「無調の騒音作家」と非難され、彼の作品の演奏が禁止されました。(ヒンデミット事件)


 

そのような事件があって頻繁にドイツを離れることになり、1937年には渡米し、その後スイスに亡命します。

政治的にとても複雑な時代で、多くの芸術家が亡命を余儀なくされた時代です。

 

さらに1940年にアメリカへ亡命し、イェール大学の教授となり、多くの教え子(音楽家)を育てます。

彼は、作曲家・指揮者・ヴィオラ奏者などの肩書を持っていますが、教育者としても素晴らしい功績を残しています。

 

私も大学で使用したのが、彼が書いた「音楽家の基礎練習」という本でしたが、とても難しい内容でした。

ヒンデミット 本


中に書かれているのは・・・

「音楽における基本的な原理―リズム、拍子、音程、音階、記譜法などーと、その正しい応用についての訓練が十分にできていない。」

という厳しい指摘があり、さらには、

「自分でやってみて、実証し、理解するのでなければ、どの説明をも、うのみにしてはいけない。」

という、厳しい助言があります。

 

確かに、私たちがバロック・古典・ロマン派と長い間に培われてきた音楽解釈について、十分な理解をしていかなければ、それぞれの時代様式を表現するのは不可能です。

ヒンデミットは、アメリカ時代に多くの学生たちに教えているうちに、その重要性を感じたのでしょう。

 

私たち音楽に携わる者にとって、それぞれの時代の音楽を、正しく表現するのは本当に難しいことです。

今、改めて第一線の作曲家が書いた音楽の基礎にかかわる書籍は貴重だと感じています。

 

他には、レオポルド・モーツァルト(モーツァルトのお父さん)が書いた、世界で最初の「ヴァイオリン教則本」や、フルート奏者でもあり作曲家でもあるクヴァンツが書いた「フルート教則本」が有名で、今でも手に入れることができます。

 

ドイツの偉大な作曲家「パウル・ヒンデミット」は、1963年出血性膵炎を患い68歳で亡くなります。

ヒンデミット 

彼の作品を演奏する機会を作り、改めて新古典派の音楽を広めたいと思います。



 

ヒンデミットの音楽で新古典派を味わってみませんか?





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クラシックファンに知ってほしい作曲家シリーズ vol.5

2020.07.20(14:02) 66

イタリアのオペラ作曲家「ロッシーニ」をご存じですか?

ロッシーニ

 

子供の頭の上にリンゴをのせ、弓矢でそのリンゴを打つという14世紀スイスの英雄伝説で「ウィリアム・テル」というお話があります。このお話をオペラにしたのがロッシーニです。

ウィリアムテル


余談ですが、この曲の軽快な場面を聴くと、私たち世代では(昭和30年代)、アメリカのカウボーイの「ローンレンジャー」を思い出します。

 

さて、その作曲家ジョアッキーノ・ロッシーニは、1792年にイタリア・マルケ州ペーザロで生まれました。

トランペット、ホルン奏者の父と、ソプラノ歌手の母という両親なので、当然のように音楽家になったと思ったら、実は、最初は興味を示さなかったようです。

マルケ州

 

しかし、10歳の時にジュゼッペ・マレルビ師にハープシコードを使って、歌を習ったのをきっかけに、その才能を開花していきました。

そして、14歳で初めてのオペラ「デメトリオとポリビオ」を書いています。

その後もオペラを書き続け、「婚約手形」「絹のはしご」「アルジェのイタリア女」など、現在でも上演される作品があります。

彼の作品の中で最も有名なのが、「セビリアの理髪師」ですね。


 

あらすじは、スペインのセビリアの町で起こった出来事から始まります。アルマヴィーヴァ伯爵が美しいロジーナに一目惚れをして、“町の何でも屋”フィガロの助けを借りて、紆余曲折の末、結婚するという楽しい物語です。

一目ぼれ

 

ちなみに、モーツァルトが作曲した有名なオペラ「フィガロの結婚」は、実はこの「セビリアの理髪師」の続編なのです。

 

「フィガロの結婚」のあらすじは、めでたくロジーナと結婚できたアルマヴィーヴァ伯爵ですが、いろいろな出来事がありすでに夫婦仲が冷めてしまい、アルマヴィーヴァはフィガロが一目ぼれしたスザンナを横取りしようとします。

伯爵に仕える二人(フィガロとスザンナ)は、いろいろ画策し最後は、伯爵がこれまでのことをロジーナに許しを請い、幕を閉じるというはちゃめちゃでもあり面白いお話です。

 

このような楽しいオペラ形式のことを「オペラブッファ Opera buffa(喜歌劇)」といい、イタリア語で「おどけた歌劇」という意味です。要するに底抜けに楽しいステージが、オーケストラバックに歌と踊りで表現されるのです。

 

この二つの歌劇が、順番を違えて書かれたことで思い出されるのが、アメリカ映画「スター・ウォーズ」です。これも始まりがエピソードⅣから始まりましたね。

 

モーツァルトとロッシーニをまねたのかなあ??

 

ところで、ロッシーニは当時としては長生き(76歳)した作曲家ですが、その生涯の半ばの37歳までに37曲のオペラを作曲しました。約20年間にこれだけの長いオペラを作曲したとは驚異です。

 

しかし、その後はオペラを一切書かなくなり、宗教音楽や歌曲・器楽曲など小規模の作曲ばかりでした。

むしろ、食生活が充実していたという記録が残っています。

 

食文化の話になりますが・・・

イタリアは、ワイン・チーズ・魚料理・肉料理など充実した国ですが、ジビエなども最高です。

個人的に好きなことを書いてしまいましたが、ロッシーニは美食家に転身し、王侯貴族との会食で覚えた味を求めていたそうです。

例えば、ロッシーニ風オムレツやステーキのロッシーニ風ソースなど、彼の名前が入った料理が存在するくらいです。

だから、彼の肖像画を見ると、たくさん食べていたのだろうなと思うほど、大変太っているように思います。

 

音楽の話に戻りますが、彼の音楽の特徴は「ロッシーニ・クレッシェンド」と言われる長いクレッシェンドです。

歌劇「セビリアの理髪師」序曲の中でも、ぐんぐんと長いクレッシェンドを演じながらオーケストラを高潮させて劇的な効果を上げています。

 

しかし、このように音楽に関わらず食文化などいろんなところに名前を残した作曲家は、おそらくロッシーニだけでしょう。

 

序曲を聴きながら、ロッシーニオムレツを食べて、そのクレッシェンドを味わってみてはいかがでしょうか?

オムレツ




 

お後がよろしいようで!!()


次回もお楽しみに♪


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音楽家のよもやま話3

2020.07.17(10:49) 65

前回の「指揮者編はいかがでしたか?

今回も、さらに「そなた・こなた・へんろちょう」から、ユニークなこぼれ話をご紹介します。

 

今回は、年末に各地で演奏される「第九」にまつわるお話です。



 

著者 野口幸助氏の本から

 

―――――――――――――――――――――――――――――――

「第九」の関西初演

毎年、年末になるとベートーヴェンの「第九シンフォニー」の演奏会が各交響楽団で企画される。

関西で「第九」の初演されたのは昭和11年のことである。

京都大学オーケストラを中心に在関西の演奏家が集まり、合唱は大阪音楽学校生徒とそのOB、ソリストも関西の声楽家ばかりで、指揮者はエマヌエル・メッテル氏。

会場は、大阪朝日会館、京都宝塚劇場の二日間で大変な人気であった。

京都の日は、ちょうど伏見宮殿下が京都に来ておられて、その当時のことで警戒厳重、交通の取り締まりも厳しい最中であった。

「こんな大勢の人が、宮さまのお通りになる河原町の通りを妨害するとはナニゴトゾ!」というわけで、主催者は早速警察に呼び出された。

京大オケのマネジャーは演奏会直前のテンテコマイの最中だったが、警察へ出頭してさんざん油を絞られた。

このマネジャーは、山口県出身の豪快な人物で、彼がいかに大人物であったかを物語るエピソードを紹介しよう。

「第九」の公演が旬日に迫ったある日のこと、彼は第二ヴァイオリンの主席を受け持っていたので、練習のため大阪音楽学校へ行こうと大阪駅からバスに乗った。

途中、一度三越百貨店を見てやろうと、高麗橋(こうらいばし)でおりた。

ところが、三越の中へ入って買い物をしてから、彼はカバンをバスの座席へ置き忘れたことをハッと思い出した。

忘れ物

そのカバンには「第九」のキップの売上金がどっさり入っていたのである。

しかしその時、彼は少しも騒がず、「エーイ、カバンはもう戻らんじゃろ、どうせ皆がエロー怒るじゃろうが仕方がない。人間は諦めがカンジンじゃ」と思うたという。

 

そこで、彼は腹を決めて三越の屋上へ上がり、一階一階、上から下へゆっくりと店内を見物し、食堂に入ってライスカレーを食べ、便所に行って悠々と用を足して表に出た。

そして、大阪音楽学校へ行くために、またバスに乗った.

ところがである。「学生さん、アナタでしょう。このカバンを忘れたのは、、、、、」

と言って女車掌が差し出してくれたのが、あの大切なカバンであった。

なんとそのバスは、彼が前に乗ったバスと同じバスで、ちょうど上六から四ツ橋を回って大阪駅へ帰り、一巡して三越前に来たのであった。

そのマネジャーは言った。「人間は落ち着きがカンジンじゃ」と。


 

―――――――――――――――――――

 

☆コージのコメント☆

このお話は、第九の初演にまつわるお話で、主役は京大オケのマネジャーでした。

初演をした指揮者、エマヌエル・メッテル氏は1878年ウクライナ生まれで、1916年ころに満州のハルビンに亡命しハルビン交響楽団で指揮活動を行っていた。

エマヌエル・メッテル


その後、1926年に来日し大阪放送管弦楽団や京都大学交響楽団の常任指揮者を務め、関西の音楽発展に大きく寄与した方です。

彼の門人には、故朝比奈隆氏がいます。

この中の大阪音楽学校とあるのは、現大阪音楽大学のことで1915年(大正4年)に設立されています。

正式に大阪音楽大学となったのは、1958年(昭和33年)です。

いずれにしても、野口さんが気になった京大オケのマネジャーは豪傑でした。

第九は、日本全国で瞬く間に広がり、この曲は年末に聴くものだという常識ができてしまいました。

それが、なんと関西発だったことを改めて確認したいところです。

 

「そなた・こなた・へんろちょう」はとてもユニークな音楽書です。

あなたも一度手に取って読んでみてはいかがでしょうか?

 

今後もお楽しみに!

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クラシックファンに知ってほしい作曲家シリーズvol4

2020.07.11(09:00) 64

「ブラームスはお好き?」という本がありますが、みなさんはご存じでしょうか?

彼が作曲する作品はドイツロマン派の哲学的な、何か深い意味のあるような音楽であり、このようなキャッチコピーができたように思います。

 

私は学生時代に、ブラームスの交響曲第4番、第2番を演奏したことがあります。しかし、何となく理解できなくて、当時は難しいパッセージを演奏するだけで精いっぱいだったのを記憶しています。

若かった学生の私には、ブラームスを簡単に理解できないのだと今は感じています。

 

さて、ヨハネス・ブラームスは、1833年にハンブルクで生まれています。

父親はコントラバス奏者で、軽音楽の楽団に所属していました。

ドイツ 地図


 

子供の時から、父親はブラームスをオーケストラのヴァイオリン奏者にしようと考えていましたが、むしろピアノのほうの才能があったようです。

 

20歳の時に、ハンガリーのヴァイオリン奏者のエドゥアルト・レメーニ(18301898)と会い、意気投合してドイツ国内の演奏旅行に出かけます。その時に、ハンガリーのジプシー音楽を教えられ、その後の創作に大きな影響を及ぼしました。

レメーニ

エドゥアルト・レメーニ


レメーニは、同じヴァイオリン奏者のヨージェフ・ヨアヒム(18311907)を紹介しました。

ヨアヒム

ヨ―ジェフ・ヨアヒム

この出会いがブラームスにとっては大きく、ヴァイオリン協奏曲などの初演を通じてお互いに刺激しあいました。

 

いろいろな出会いの中から、数年をかけてピアノ連弾曲「ハンガリー舞曲集」を作曲していきますが、全21曲の中から3曲を管弦楽版としても編曲しました。

そのほかの曲も、のちにいろいろな人が編曲し、第5番はその中でも特に有名で、小学校の音楽鑑賞曲としてよく知られています。

 

しかし、ハンガリーの民謡を取り入れているので作曲ではないと、批判がありました。でも、裁判では認められ、ブラームスの作曲となっています。

 

同じころ(1853年)、ブラームスは作曲家シューマンに会うことになります。シューマンはブラームスの才能に気づき、とても歓迎したようです。

ロベルトシューマン

ロベルト・シューマン

 

その時の様子を再現してみました。

シューマン「ブラームスくん、会いたかったよ。君の作品を聴いてみたい。ぜひ聴かせてくれ。」

ブラームス「シューマンさん、私もお会いしたかったです。ぜひ聴いてください。」

ブラームス「♪~♪~(ピアノ曲を演奏する)」

シューマン「うむ。Prima!実に素晴らしい!君はとてもピアノに長けているようだ。気に入ったよ!」


その時に、シューマンの妻クララと運命的な出会いをします。

しかし1854年に、シューマンがライン川へ投身自殺未遂をしてしまいます。ブラームスは、シューマンが亡くなる2年後まで、シューマン家の面倒を見ることになります。その間、ブラームスは落ち込むクララを見ていたので、クララのことが頭から離れなくなりました。

クララは、1819年生まれでブラームスの14歳年上です。

(これで、二人とも恋に落ちていたら年の差の不倫です!)

クララも、ピアノ奏者・作曲家として、シューマン亡き後も活躍していました。

クララシューマン

(クララ・シューマン)

 

そして、18651月ブラームス32歳の時、母親が亡くなりました。

これがきっかけで1868年に大作「ドイツレクイエムop.45」を母親のことを想いながら作曲しました。

この曲は、楽器編成も大きく、ロマン派におけるレクイエム(死者のためのミサ曲)としては、名曲です。

 

1871年(当時38歳)、プロイセン(現在のドイツ)とフランスとの戦争があり、プロイセンが勝利を収めます。その時に作曲したのが「勝利の歌op,55」、同時期に「運命の歌op.54」も作曲しており、アルトの歌がとても印象的な作品です。

 

ブラームスが心を寄せていたクララ・シューマンは1896年(76歳)に脳卒中で倒れ死去。ブラームスも肝臓がんを患い、約1年後の18973月に亡くなります。64歳でした。

 

 

彼の作品を、改めてみてみると、ピアノ作品が多く、ピアニストとしての創作意欲があったと想像します。管弦楽作品としては、4つの交響曲、2つのセレナーデ、ハンガリー舞曲、2つのピアノ協奏曲やヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲などが名曲です。

独奏作品としては、ヴァイオリンソナタを始め、ピアノ曲「二つのラプソディ(狂詩曲)」も有名です。

室内楽では、弦楽四重奏をはじめとして、クラリネットやホルンを入れた作品があり、ロマン派の真髄が伝わる作品が多いのが特徴です。

他に、合唱団での指揮活動も多く、その中で歌曲や女性合唱曲、混声合唱曲などが数多く書かれています。


ハンガリー舞曲の中から有名な第5番をどうぞ。

この動画は、ジャズ風のハンガリー舞曲第5番。




こちらはオーケストラバージョンです。


 

ぜひ、ロマン派の大人の音楽のひとつである“ブラームス”を聴いてお気に入りの1曲を見つけてみてくださいね♪





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クラシックファンに知ってほしい作曲家シリーズ vol 3

2020.07.07(09:00) 63

シリーズ第3弾は、ドイツの作曲家「ウェーバー」です。

Carl Maria von Weber1786-1826

カール・マリア・フォン・ウェーバーは、1786年にドイツのオイティンで生まれました。

オイティン

(オイティンにあるウェーバーの生家)


お父さんは司教公に仕える音楽家でした。彼は、ウェーバーの才能を見て、モーツァルトのお父さんにあやかってウェーバーを天才児として売り出そうとしました。そのため、巡業先で各地の有力な音楽家に師事させました。このことでウェーバーは、優れたピアノ奏者となり、多くのピアノ曲を作曲することにつながりました。

 

モーツァルトの妻であるコンスタンツェは、ウェーバーの23歳上の従姉で親戚関係です。

モーツァルトが191年に亡くなった時、ウェーバーは5歳でした。なので、音楽家としての接点はなさそうです。

コンスタンツェ

 

モーツァルトの時代は、イタリア語のオペラが主流で、なかなかドイツ語では書けなかった。しかし、モーツァルトは、皇帝に掛け合い、歌劇「後宮よりの逃走」をドイツ語で書くことができた。

その功績を受け継ぎウェーバーは、ドイツ語による歌劇「魔弾の射手」を作曲しました。

 

 

「魔弾の射手」は、ボヘミアの深い森が舞台に、若い狩人マックスと、その恋人アガーテの恋を中心に捉えた物語です。

マックスは、村の射撃競技に勝ち、悪魔と契約して狙ったものに必ず当たる7発の<魔法の弾>すなわち魔弾を手に入れます。だが、最後の弾は悪魔の計略で恋人アガーテに当たってしまいます。

しかし、隠者の計らいでアガーテは生き返り二人は結ばれるという筋書きです。

魔弾の射手


 

始めに演奏される序曲ですが、オペラ全体の重要な場面の音楽が要約された形で盛り込まれています。しかし序曲なのに、オペラ全曲ができてから「最後に」作曲されたようです。

 

冒頭、弦楽器で長い音のクレッシェンドから始まり、緊張した雰囲気を作ります。そしてその後に、美しいホルン四重奏が、深く暗い森を想わせるかのように演奏されます。

この曲は、賛美歌にもなっているので、多くの人が歌い愛されています。

讃美歌285番に登場しています。


 

 

その後、弦楽器のトレモロの上で、クラリネットの高音から駆け下りてくる旋律は、これこそクラリネット冥利につきるともいえる名旋律です。

 

さらにこのオペラの中では、「狩人の合唱」という場面があります。狩りといえば、ホルンですね。

4本のホルンによる狩人の合唱は、単独で演奏することもある勇壮な音楽です。



ところで、ウェーバーのオペラ作品は、ほかにも「オベロン」「オイリアンテ」などがあります。これらの序曲は特に有名でプログラムに載せられています。

 

 

そして、「魔弾の射手」で紹介した楽器でもあるクラリネットには、2曲の協奏曲とコンチェルティーノがあり、オーケストレーションも素晴らしく、よく演奏されます。

ホルンについても、コンチェルティーノが1曲あり、クラリネット協奏曲のバックオーケストラでも美しいハーモニーを奏で、作曲技法としての楽器の使い方が見事です。

 

彼の生活は、作曲や指揮による収入が必要で、精神的に疲れがたまっていたようです。1821年歌劇「魔弾の射手」が完成後、上演も成功しましたが、一方で批判もあり特にドレスデンでは歓迎されなかったようです。

そのころから喀血(かっけつ)し始め、以後どんどん衰弱して1826年、40歳の若さで亡くなりました。

 

モーツァルトも35歳の若さで世を去りますが、天才は短い期間にすべてを出し尽くすのでしょうか。

欲を言えば、もっと長生きをして、素晴らしい作品、特に室内楽作品を残してほしかったです。

 

二人ともドイツの代表的な作曲家ですね。

 

いかがでしたか?

ウェーバーの音楽生活が垣間見えたのではないでしょうか?

 

 

さて、次回は誰についてお話するのか楽しみにしていてくださいね!

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音楽家のよもやま話2

2020.07.05(09:00) 62

前回の「キツネうどんが人命を救う」は、いかがでしたか?

今回はその第2弾です!

「そなた・こなた・へんろちょう」から、いくつかユニークなこぼれ話をご紹介します。

IMG_20200702_110604.jpg 

著者野口幸助氏の文から

 

「指揮者編」

Part.1

―――――――――――――

私には多くの指揮者に会う機会があるが、おのおの個性的で十人十色、ステージでも日常でも面白い。

先年亡くなった(19627月)偉大なマエストロ、コンヴィチュニーは、ゲヴァントハウス・オーケストラと一緒に羽田空港に着いた。税関の中まで出迎えに行った私は、彼に「今すぐブランディが飲みたい」と言われて困った。「ここでは無理だと」と言ったが、「飲まねば大阪行きの飛行機にも乗れない」と、美人の奥さんの言葉にあちこち探して、やっとトリスウイスキーの飲み残しを持っていた部下のことを思い出した。

それを恐る恐る飲んでもらって大阪へ連れて帰った。彼は、強度のアル中だったのだ。日本から帰って間もなく亡くなった。しかし、あの素晴しい彼の「第九」の名演奏の記憶は、今も瞼に焼きついている。

コンヴィチュニー

 

☆コージのコメント☆

海外の指揮者は、その国の国民性や風土が大きく関わるので、招聘(しょうへい)した時は非常に難しい対応を強いられます。でも、ここは日本であることを理解してもらい、“あなたの音楽的な技術・音楽性を私たちは求めている”ということをはっきり告げないと、「ノーと言えない日本人」になってしまいます。

 

 

 

Part.2

―――――――――――――――――――――――

神経質な指揮者も居る。会場が静かにならないと演奏を始めない。むずかる子供を連れてきた母親をステージから叱る指揮者もある。

あわてものの指揮者は、曲目を「運命」と思って振り下ろしたら楽員はびっくりした。

その日の曲は、「田園」であった。もちろん指揮者も驚いたがオーケストラは「田園」の演奏を続けたので、何とか振り替えてごまかした。

 

☆コージのコメント☆

これは有名な話で、大阪の著名な指揮者ですね。

 

 

 

 

Part.3

―――――――――――――――――

ある指揮者は、指揮棒をよく飛ばしたりして、楽員に拾ってもらったりする。

客席に飛ばしたら素手で振ることもある。棒を飛ばすくらいならいい方で、名古屋の公会堂で、「第九」の最中に、本人が指揮台から客席へ落ちて這いあがった人など、身が軽くて怪我もなくて良かったが、あまりみっともいいものではない。

また、棒を振っている最中にサスペンダー(ズボン吊り)のボタンが飛んでしまったので、ズボンがズルリ。

落としてならじと片手でズボンの端をおさえながら、苦しそうな顔で棒を振っているので、楽員はテッキリ腹痛を起こしたものと思ったそうだ。

指揮者

 

☆コージのコメント☆

客席へ落ちたなどの逸話を残したのは、大指揮者で小柄な故・山田一雄先生ですね。

先生は、私の所属していた大阪市音楽団へも客演で来ていただきましたが、その時も、ラヴェルのパヴァーヌで、指揮者一人が途中で曲を終わってしまいました。幸い、メンバーが次を吹き始めたので、「お続けなすって、、」とおっしゃって事なきを得た思い出があります。

 

 

いかがでしたか?

音楽のちょっとしたこぼれ話は、初心者や全然知らない人でも笑える話がたくさんあります。

 

このブログで、こういうお話をたまに覗けるあなたはラッキーだと思います♪

 

このような、逸話は世界中どのオーケストラでもありますが、演奏者の中でも語り継がれる「えっ、ホント??」という話がたくさんあります。

IMG_20200703_121006.jpg 

もっともっと知りたい方は、これからのブログを楽しみにしていてくださいね♪

 

次回はどんなお話なのでしょうか!?

 

乞うご期待!

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クラシックファンに知ってほしい作曲家シリーズ vol.2

2020.07.04(09:00) 61

このシリーズ第2弾は、オーストリアの作曲家「フランツ・ヨーゼフ・ハイドン」です。

1732年にオーストリアのローラウで車大工の父親のもとで生まれました。

ローラウ

 

弟のミヒャエルも作曲家として活躍します。

ハイドンの功績は数々あるのですが、特にソナタ形式を確立したことで知られています。

 

「ソナタ形式」とは・・・対照的な二つの主題をもとに音楽を展開させ、さらに発展させていく古典音楽の代表的な形式。

 

提示部・展開部・再現部の三つの部分から構成され、音楽の雰囲気が変わることで、聴く側に音楽がわかりやすくなっています。

その形式は、ヴァイオリン“ソナタ”やピアノ“ソナタ”などと呼ばれますが、この“ソナタ形式”を管弦楽に応用したのが「交響曲」です。

 

ハイドンは、104曲もの交響曲を作曲して「交響曲の父」と呼ばれています。音楽の授業でも取り上げられていると思います。

 

いわば、のちのモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、マーラーらの交響曲の原点ですね。

 

そのたくさんの交響曲の中で、交響曲第94番「驚愕(きょうがく)」という曲は、別名「びっくりシンフォニー」と言われて、よく知られています。


由来は、第2楽章で表れています。初めは、静かに弦楽器で(ドドミミソソミ ファファレレシシソ、、)と演奏されますが、突然ティンパニの強い一撃があり、びっくりさせられます。

ティンパニ


でも、最初は軽い音楽があるのに急にびっくりさせるの!?と思いますよね。

実は、ハイドンが日々苦心して書いたシンフォニーを演奏中に、貴婦人たちが居眠りをしているのが気に入らない。そこで策を弄したのがこの曲というわけです。

 

ハイドン「~♪・・・こら!起きんかい!バンっ!」

貴婦人「zzz・・・( ゚д゚)ハッ!!」

とでも言いそうな音で起こされそうな雰囲気です()

その説明を昔やっていた番組「トリビアの泉」で紹介されています。

ご覧ください。




 

その後、モーツァルトが書いた、交響曲31番「パリ」でも、同じように聴衆を驚かせるというユーモラスな作品があります。

やはり、当時もクラシック音楽のコンサートでは居眠りをする人がいたのでしょうね。


 

※コンサート中に、居眠りは悪いことではないのです。むしろ、音楽が心地よくて寝てしまうのは、演奏家にとっては嬉しいことでもあるのです。

 

 

それから、ハイドンはドイツの国歌も作っています。

正確にはヴァイマール共和国時代ですが、のちに弦楽四重奏曲「皇帝」の第2楽章の主題に用いています。



それから、意外なことですが、「おもちゃの交響曲」がハイドンの作曲と長年言われていましたが、

1951年にレオポルド・モーツァルトが書いた「カッサシオン」の中に含まれていると判明しました。

しかし、その後の調査で、1992年にオーストリアのチロル地方シュタム修道院の音楽蔵書の中から、1785年ごろに書かれた楽譜が見つかり、同じチロル出身のエトムント・アンゲラーが1770年に作曲したと記されていて、判明したのです。

要するに、現在は、エトムント・アンゲラー作曲「おもちゃの交響曲」ということです・

 

当時、ハイドンが有名なだけに、彼の名前を使うと楽譜が売れたので名前を使われたのかもしれません。

 

それにしても、ハイドンは1000曲ともいわれる曲を書いており、こんにちでもそのすべてが演奏されるわけではありませんが、その後の作曲家たちに多くの影響を与えており、その功績は偉大です。

 

改めて、交響曲や弦楽四重奏を聴きながら、その遺産を味わいたいと思います。

 

今回は、ハイドンに焦点をあててみました。

いかがでしたか?

この時代、まだまだ発展途上の中、今日でも演奏される音楽がすでに完成されていたことが驚きです。

クラシック音楽をあまり知らない人はなおさらだと思います。

この機会に、ハイドンの音楽を一緒に味わってみませんか?


最後に、今回紹介した2曲をどうぞ。


交響曲「驚愕」



弦楽四重奏曲 皇帝 2楽章


 


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